◆静岡地裁浜松支部・平成11年12月21日判決 (面接交渉拒否と損害賠償)
*事実の概要
この係争は、離婚した父親・甲野太郎が親権者となった母親・乙山花子に対し、両人の子・一郎に面接交渉を求めたものを、花子が拒絶したのは違法であるとして、不法行為による損害賠償を求めて起きた。
裁判所は甲野太郎の請求を全面的に認容した。その理由として、裁判所は、太郎と花子が調停離婚した際の調停条項によると、両人の子・一郎の親権者を乙山花子と定め、花子は太郎が月1回、2時間程度の一郎との面接を認め、太郎からの申し出により、面接の日時、場所、方法などについて協議する旨の定めがある。そこで、太郎は花子に一郎との面接を求めたが、花子が応じないため太郎は家庭裁判所に調査官による履行勧告を求め、これに基づき家庭裁判所調査官から花子に履行勧告が行われたが、花子はこれにも応じなかった。
花子が太郎の一郎に対する面接拒否の理由として、花子は太郎が婚姻後自己本位でわがままであったことが遠因であると主張している。だが、花子が太郎と別居するに至ったのは、この調停の経過や調停離婚の成立過程を考えると、太郎が自己本位でわがままであるとは認められなかった。むしろ、花子の親離れしない幼稚な人格が家庭というものの本質をわきまえず、子の監護や教育にも深く考えようとしない態度につながっているという側面がみられた。また、花子は一郎の学資保険料を、太郎から花子に交付するとの調停条項があるが、これは認められなかった。
これらの事実から見て裁判所は、花子が太郎からの、その子・一郎との面接交渉を拒否していることは、太郎の親権は停止されているとはいえ、太郎の父親としての愛情に基づく自然の行為を妨害するものとして、不法行為成立要件としての違法行為に当たると認定した。この判決は、離婚した夫が離婚により子の親権者となった元妻に、子との面接交渉を求めたのを、元妻が拒絶したことが違法として、元妻に対しての損害賠償請求を認容したものである。離婚した夫婦間で子に対する面接交渉の拒絶を、違法として求めた損害賠償請求事件は、1999年(平成11年)当時までには見当たらないもので、この判決は同種の事件を解決する際に、参考になるものと言える。

  (参照条文)
 民法709条、同710条


 (当事者)
 原告:甲野太郎(仮名)       右訴訟代理人弁護士:鈴木 ○○(仮名)
 被告:乙山花子(仮名)       右訴訟代理人弁護士:田中 ××(仮名)


<主文>
 1:被告は原告に対し、金500万円およびこれに対する平成10年12月27日から支払済みに至るまで、年5分の割合による金員を支払え。
 2:訴訟費用は被告の負担とする
 3:この判決は仮に執行することができる


*申し立て
(請求の趣旨)

1:被告は原告に対し、金500万円およびこれに対する平成10年12月27日から支払済みに至るまで、年5分の割合による金員を支払え。
2:訴訟費用は被告の負担とする。との判決、並びに仮執行の宣言を求める。


(被告の答弁)
1:原告の請求を棄却する。
2:訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求める。


*主 張
(請求原因)

第一:1,原告と被告は平成4年11月4日婚姻した夫婦であったが、平成10年6月3日調停離婚した。
2,原告と被告の間には平成6年1月28日長男・一郎が生まれたが、離婚後は親権者は被告と定められ、被告が監護養育している。

第二:一 1,原告と被告は、婚姻中、一郎とともに浜松市内の丙河団地に居住していたが、平成7年7月25日原告が勤務先に出社して不在の間に被告は一方的に肩書住所地の実家に帰ってしまい、以後別居状態になった。

(2)そして、被告は平成7年8月、静岡家庭裁判所浜松支部に原告との離婚を求めて、夫婦関係調整の調停を申し立て(平成7年<家イ>第439号)、一方、原告もそのころ同支部に円満調整を求めて調停を申し立てたが(平成7年<家イ>第446号)、いずれも不調あるいは取下げによって終了した。

(3)さらに、原告は別居後永らく一郎との面接交渉が絶たれていたことから、平成7年12月ころ、同支部に対し被告を相手方として、一郎との面接交渉を求めて調停を申し立てたが(平成7年<家イ>第691号)、結局平成8年7月9日不調に帰し、審判に移行した。この間、原告は調停の席上一回ほど一郎に合わせてもらったに過ぎない。

二 1, つぎに、被告は平成8年7月17日原告を相手方として静岡地方裁判所浜松支部に離婚等請求訴訟を提起し(平成8年(タ)第21号)、和解等を経て再び調停に付され(平成9年(家イ)第124号)、家庭裁判所調査官を通じ、原告と一郎との面接交渉につき調整が行われた。

この間、原告は和解の席上、一郎に1回会うことができ、調停移付後は右調査官立会いの上、平成9年9月18日と同年10月13日に同支部厚生室で、また、平成10年1月22日には浜松市内の遠州海浜公園で3回一郎と面接交渉することができた。

2 原告としては、被告と別居後、終始一郎との面接交渉を求めてきたが、これを拒否する被告の頑なな態度のため、面接交渉が極端に制限され、父たる権利を侵害されてきたのである。

三 以上のように、原告と被告の間の夫婦間を巡る紛争は長期化したが、原告としても代理人、家事審判官、家庭裁判所調査官の意見も聞き、一郎との面接交渉が確保されるのであれば、被告と離婚し、一郎の親権者が被告となることもやむを得ないものと判断し、大幅に譲歩し、平成10年6月3日につぎの条項を含め調停離婚を成立させた。
すなわち、調停条項には、被告は原告に対し、一郎と2か月1回、1回につき2時間程度面接することを認め、原告からの申し出により、日時、場所、方法等について協議することとし、被告は子の面接交渉が円滑に行われるように誠意を持ってこれにあたる。なお、面接場所については、子の意思を尊重する、と定められている。

なお、右面接交渉の頻度については、もとより原告は最低月1回を希望したが、被告に拒否された結果、2か月に1回と定められたのである。

四 右調停成立後、原告は代理人を通じ、一郎との面接交渉を求めたところ、平成10年7月30日午前9時30分から、浜松市内の左鳴湖公園でとの協議が成立し、原告はその時刻右公園に出向いた、被告は現れなかった。
そこで、原告は静岡家庭裁判所浜松支部に対し、履行勧告の申し出をしたが、被告はこれにも応じない。

第三:一 原告の有する一郎との面接交渉権は、父親としての自然の権利であり、まして一郎は原告と被告の別居当時1歳半で間もなく5歳になろうとしている発育中の子で、物心がつくころであるから、原告が一郎と会いたいと思う情愛は父親として当然である。また、一郎自身が原告を父親として認識しうる面接交渉を認めなければ、権利たる意義を失う。

しかるに、被告は前記のとおり別居という方法により原告と一郎を離別させ、その後も原告と一郎の面接交渉を妨害し、いわんや前記調停条項にも従わないのであるから、民法第709条、第710条に基づき、原告に対して損害賠償義務を負う。

二 原告が一郎との面接交渉を制限ないし妨害された経緯、期間、これに対して原告がとった対応、一方、被告は毎日一郎と接していること等の事情を考慮すれば、原告の受けた損害は甚大であり、これを慰謝するには金500万円をもって相当とする。

第四:よって、原告は被告に対し、右金500万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である平成10年12月27日から支払済みに至るまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。


(被告の答弁および主張)

第一、請求原因第一項一を認める。
同二項を認める。
同第二項一1を認める。ただし、被告は一方的に実家に帰ったのではない。
同項一2を認める。ただし原告が静岡家庭裁判所浜松支部に円満調整を求めて調停を申し立てた(平成7年(家イ)第446号)ことは知らない。
同項一3を認める。同項二1を認める。ただし、原告は一郎に4回面接している。
同項二2を争う。
同項三のうち、原告主張の調停条項で平成10年6月3日に調停離婚が成立したことを認める。その余は知らない。なお、被告は面接交渉の回数を3か月に一度と主張したのであるが、最終的に譲歩したのである。
同項四のうち、被告が一旦は原告主張の日時場所において原告と一郎との面接交渉を行うことを承諾したこと、およびその後に家庭裁判所調査官の履行勧告があったものの、被告がこれに応じなかったことを認める。その余を争う。
被告が応じなかった理由は後記第二項二のとおりである。
同項二を争う。
同項三項一を争う。
同項二を争う。原告主張額は高きに失する。

第二、一1 被告は、婚姻後自己本位でわがままな原告にしばしば悩まされてきた。こうしたところ、平成7年7月22日午後3時から4時ごろ、原告と被告、一郎(当時1歳5か月)の3人で自家用車で潮干狩りに行った帰り、車を運転していた原告がいきなり原告の実家に行こうとした。被告は後部座席で一郎を抱いていたが、その時一郎が眠そうな様子を見せていたことから、「いったん家に帰って一郎を寝かせてからにしたら」と提案した。
ところが、原告はこれを無視し自動車を停止させた後、被告に抱かれていた一郎の身体を手で掴み引っ張って無理矢理奪いとろうとし、これを拒んだ被告の身体を自動車の窓ガラスに強く押し付ける等の暴行に及んだ。

 2 さらに同月24日朝自宅において、学資保険の件で原告と被告が口論となった際、原告は突然寝ていた一郎を抱いて外に連れ出そうとした。被告がこれを阻止しようとして一浪を抱きしめると、原告と引っ張り合いになり、さらに原告は被告を食器棚に押し付けて被告の喉の辺りを強く圧迫する等の行為に及んだ。このため、被告は一郎を連れて被告の実家に帰った。

 3 その夜、原告とその母とが被告の実家まで赴き、被告に戻ってきて欲しい旨を申し入れたが、原告に強い不信感を抱くに至った被告が難色を示したところ、原告はいきなりその場にいた一郎を掴んで連れ帰ろうとし、これを拒む被告との間で一郎の取り合いとなった。
原告と被告はしばらくの間揉み合いを続けたが、一郎が苦しそうな声をあげたので、被告が警察を呼ぶよう要請すると、原告はようやく実力行使を中止した。
その後、被告は原告の母親からとにかく同夜は一度帰って欲しいと懇願されたため、その場を収拾するため一郎とともに自宅に戻った。
しかし、このままでは到底婚姻生活を継続することはできないと考えた被告は、翌25日にはその旨を原告側に告げたうえ再び実家に戻り、以後別居することとなった。

 4 以上のとおり、原告と被告が別居および離婚に至った原因は専ら原告側にある。また、原告が一郎の眼前で被告に暴力を加え、強引に被告の手から一郎を奪い取ろうとする行動を繰り返したことから、被告としては原告に対し、一郎を実力で奪われるのではないかという不信を強く抱くに至り、一郎も原告に対して恐怖心を抱いている様子が窺がわれるようになった。

そして、このことが今回の面接交渉の問題の遠因ともなっているのである。

二1 平成10年6月3日、原告と被告の間で静岡家庭裁判所浜松支部において調停(平成9年(家イ)第124号)が成立したが、右調停の際、学資保険の未払保険料の支払いが養育費との関連で争点の一つとなった。

結局、養育費の一部に代えて学資保険の未払い保険料金30万円を原告が負担することとなったが、被告はこれを受入れる条件として、原告が右保険料に相当する金額を必ず被告の貯金口座に振り込むことを要求し、原告もこれを了承した。

その実質的理由は、原告が直接保険料を郵便局に払い込んだ場合には、満期返戻金を受領する際に贈与税または一時所得による所得税が課税される可能性があり、被告自身が払い込んだ場合と比べて不利益となるとの話が調停で問題となったためである。

被告としては,この点は養育費の支払いに関して譲歩した経緯もあり、絶対に譲ることのできない事項であった。

そこで、前期調停が成立し、調停条項を読み上げ確認がなされたとき、担当書記官は、原告において右未払保険料を被告名義の貯金口座に振り込むべきことを明らかにし、関係者全員もこれを確認した。

 2 その後、被告は原告からの申し入れに従い、平成10年7月30日午前9時30分から佐鳴湖公園において原告と一郎の面接交渉を行う事を承諾し、代理人を通じてその旨を原告に伝えた。

 3 ところが、原告は調停における前記の約束に反し、前記学資保険につき所持していた保険証を利用して、平成10年6月10日ころ未払保険料金30万円を直接郵便局に払い込んでしまった。これは被告には直接送金したくないという原告のこだわりに基く行為としか考えられない。

 一方、被告は同年7月中旬ころ右事実を知るに至った。そこで、調停調書を確認したところ、右調停条項には未払保険料を被告宛送金すべき旨が明記されていないことに気付いた。なぜ明記されていないのかその理由は判然としなかった。

 4 被告は前記別居に至る事情により原告に対し抜き難い不信感を抱いていたこともあって、原告の約束違反の行為に強く立腹し、同人が約束を守らない限り面接交渉には応じない旨を事前に代理人に伝え、前記面接交渉の期日には佐鳴湖に赴かなかった。

 5 その後、静岡家庭裁判所浜松支部の家庭裁判所調査官から被告に対し、家庭裁判所に出頭すること、面接交渉を実施すること等の勧告がなされたが、被告はこの件については弁護士の方に話してある旨を調査官に伝え、勧告には応じなかった。

被告としては、一方的に調停での約束を破ったのが原告である以上、原告の側でもきちんと右約束を履行しない限り面接交渉に応じる義務はないと考えたためである。

 6 以上のとおり、被告が面接交渉を拒否したことは正当な理由があるというべきである。


(丙) 証拠<略>


*理 由(裁判所の判断)

第一、一 以下の事実は当事者間に争いがない。

 1 原告と被告は平成4年11月4日婚姻した夫婦であったが、平成10年6月3日調停離婚したものであること。

 2 原告と被告の間には平成6年1月28日長男乙山一郎が産まれたが、離婚後は親権者は被告と定められ、被告が監護養育していること。

二:1原告と被告は、婚姻中、一郎とともに浜松市内の丙川団地に居住していたが、平成7年7月25日被告が肩書き住所地の実家に帰った後、別居状態となったこと。

 2(一)被告が平成7年8月静岡家庭裁判所浜松支部に原告との離婚を求めて夫婦関係調整の調停を申し立てたが(平成7年(家イ)第439号)、不調によって終了したこと。

(二)また、平成7年12月ころ、原告より同支部に対し被告を相手方として、一郎との面接交渉を求めて調停を申し立てたが(平成7年(家イ)第691号)、結局平成8年7月9日不調に帰したこと。

 3(一)被告が平成8年7月17日原告を相手方として静岡地方裁判所浜松支部に離婚等請求訴訟を提起し(平成8年(タ)第21号)、和解等を経て再び調停に付され(平成9年(家イ)第124号)たこと。

(二)その結果、平成10年6月3日に、「被告は原告に対し、一郎と2か月に1回、1回につき2時間程度面接することを認め、原告からの申し出により、日時、場所、方法などについて協議することとし、被告は子の面接交渉が円滑に行われるように誠意を持ってこれにあたる。なお、面接場所については、子の意思を尊重する。」との調停条項を含んで原告と被告との間に調停離婚が成立したこと。

 三:1右調停成立後、原告と被告との間に原告の一郎との面接交渉について、平成10年7月30日午前9時30分から、浜松市内の佐鳴湖公園で実施するとの協議が成立したこと、しかし、原告がその時刻に右公園に出向いたものの、被告は現れなかったこと。

 2 その後、原告からの申出により、家庭裁判所調査官から被告に対し履行勧告がなされたが、被告はこれにも応じなかったこと。

 第二、一:1ところで、家族の社会生活における意義を見るに、テンニースという学者は、社会をゲマインシャフト(共同社会)とゲゼルシャフト(利益社会)とに分けている。ゲゼルシャフトとは会社とか学校とか組合のように、人がある目的のために結び合う社会のことで、そこでは人々はその目的のために結び付くのであって、一面的である。ゲマインシャフトとは村落とか、家庭のように人々がそれ自体で結び付き、無目的に結合している社会で、そこでは全人格的に人々は結び付く。その典型は家庭である、というのである。

 家庭は、もともといろいろな機能を果たしてきた。生殖は勿論、生産も教育も娯楽も全て人々は家庭に求め、そうすることで落ち着きを感じとってきた。安楽の地が家庭であり、人々は家庭に安住しているだけで充分生活していけた。

しかし、資本主義社会が発達して人々の分業が進み、多くの人が都会に居を構えるようになった現在、そのような機能はほとんどがゲゼルシャフトに奪われ、家庭は生殖と睡眠とかいった少ない機能しか果たしていない。しかも、ゲゼルシャフトの要求は次第次第に家庭というゲマインシャフトに対して強く迫り、人々は休息の場さえ奪われ兼ねない。家庭は構造的にも夫婦と未成年の子で構成されるようになり、いわゆる核家族化される傾向にあり、ときとすればゲゼルシャフトの要求に抗し切れない場面すらある。

しかし、家庭の果たす役割はやはり重要であると言わざるを得ない。ゲゼルシャフトの場でいろんな働きをして、精神的にも肉体的にも疲れ切った人々はやはりその休養を家庭に求めるのであり、憩いの場、慰めの場、思いやりの場、人間らしさを取り戻す場は家庭をおいて他にはない。人間は、所詮個々としては一人の人間だけではとても生きていけない。その人生において困窮した時、疲れ切った時、難関に直面した時、やはり身近に話し合いや慰めの場を持ちたいと思うのであり、そうした最後の砦が家庭であるといってよい。

 2 右家族の中で産まれた子の観点から検討するに、まず、右家族の中で生命を与えられた子にとってはそれは運命であるといわざるを得ない。家庭は未成熟の子を独立した一個の人格者として、いわば社会人として送り出すまでの養育の場でもある。人が生まれ落ちて与えられる環境は先ず真っ先に家庭であり、子供にとってそこに選択の余地はないのである。

しかるに、長ずるに及んで一個独立社会人として世に出るまで、長い期間を要し、その間家庭で父母の監護教育の下におかれることを考えるときに、家庭の持つ意義は大きい。

人間は本能を忘れた動物であるという説がある。したがって、人間には本能に代わる行動パターンが必要となり、自我を養成してその自己規定に基づいて行動する。そのため、すなわち、社会的に独立し、主体性を持った人格を持つには人間は約20年もの長期間を要するというのである。そして、幼児期の時に母親ないし父親の肌で触れ合う感触が人間としての優しさ、思いやりなど、後々の人格形成に大いに必要な、かつ不可欠なものなのである。しかも、それは幼児期という時期を失してはもはや代わるべき体験はできないものである。すなわち、右の体験は不可遡及的なものであり、このことを担う役割は、やはり生みの母親を先ずおいて他には求められない。

つぎに、外部からの社会的規範など、様々な社会生活をしていくうえで準拠すべきルールや生き方の方法などを家庭に持ち込み、これを内面化する役割を主として父親は担うものと思われる。

これらの作用は、夫婦の協力によってもたらされるのであり、従って夫婦間の相互理解が必要であり、その仲睦まじさが、子供にとっても多大な影響を与える。

 二 右のような役割を民法は親権と称して第818条ないし第837条にこれに関する規定を設け、原則として親権は父母が共同してこれを行うと定め、その具体的内容を財産管理権の他、子供の躾や教育をはじめ子の回りの世話など子の全生活に亘り監護教育をするというものであり、これは親の権利であると同時に、まず子の福祉を念頭において行使すべきところから義務ともいえるのである(民法第818条第1項ないし第3項)。

ことに、前記一で考察したように、典型的なゲマインシャフトとして、また、社会の基底的集団として、家族は全人格的に付き合うものであって、人はこうした家庭でおよそ成人に至るまでの長期間育成されるものであり、成人として出ていく社会にも社会的法則や倫理を導守するとかの父性的原理に基くものや思いやりなど他人と共感して生活するなど母性的原理に基くものの双方を必要とし、未成熟の子に対する父親としての役割、母親としての役割を考慮すれば、つぎの時代を担う人間を育成する場として親権は親の権利性をそう強調して論ずべきものではなく、また、子の福祉の観点からその義務性をそう軽々しく論ずべきものではなく、父と母の共同して親権を行うことが最も望ましいのはいうまでもないところである。

ところで、両親の離婚という現象は場合によっては親たる夫婦間にしてみれば避けられない現象ではあるが、右離婚という現象はあっても、その子にとっては、その後は欠損家庭に生きるという不幸な出来事というべき一面があるとともに、その子にとってみれば、父と子、母と子という親子の関係それ自体は生涯離れることはできない運命的なものである。

しかしながら、親権の具体的内容たる監護教育する権利は、どちらかの親権者の手に委ねざるを得ないことになる(民法第819条第1項ないし第6項)。すなわち、他方の親権はその行使が停止されることになる。

かくて、子との面接交渉権は、親子という身分関係から当然に発生する自然権である親権に基き、これが停止された場合に、監護に関する権利として構成されるものといえるのであって、親としての情愛を基礎とし、子の福祉のために認められるべきものである。

 第三、一 ところで、原告はつぎのとおり供述する(《証拠略》によると)。

 1(一) 原告と被告は昭和60年ころスキー同好会で知り合い、交際するうち、平成4年5月原告の方より結婚の申し込みを行い、被告の承諾を得、双方とも相手の両親とは同居できないことを了承し合い、平成4年11月4日婚姻するに至ったが、

 (二) 原告の実家の近所に伯母が住んでいた空き家を利用して新居とする原告の希望も、原告の親族との仲が悪くなる懸念からアパートに住みたいという被告の反対に遭って実現せず、アパートに住むことになった、
 (三) 被告は、何かといえば「じゃあ、私と結婚する気はなかったのね。」とか、「別れるのね。」とか極論を吐き、深夜突然起きあがり、「お前、俺がどんなに辛いか判るか。」などと言うとそのまま寝てしまい、翌日は何もなかったような表情をすることがあった、

 (四) 平成5年に入るとこれまですぐれなかった原告の健康も回復し、原告と被告はスキーなどを楽しむなどし、被告も同年4月上旬からパート勤めをするようになり、原告も休日には掃除、洗濯、夕食の支度などの家事の手伝いをしていたところ、同年4月被告は深夜黙って起きあがり車でどこかへ出かけたことがあった、

 (五) 原告はその所有の車2台をアパートの駐車場に置いていたところ、管理人より苦情を言われて1台をその実家に置くことにしたが、これを聞いた被告は激怒して口論となり午後11時ころその車を取りに行くと言って出かけたことがあった、

 (六) 同年8月ころ被告の妊娠を知った原告は、重いものを持ってあげたり、買い物に一緒に行くことなど一段と被告に協力するようになった、11月中旬には被告もパートを辞めた、

(七) 平成6年1月28日被告は長男一郎を出産した、うれしくなった原告は毎日のように被告の実家を尋ね、被告と一郎に会い、入浴やおむつの交換等被告に協力した、

(八) 原告らは同年9月3日丙川団地なる所に引っ越したが、そのころより被告は次第に情緒不安定となり、原告が鍼灸接骨院に出かけても被告は原告の実家に行っていると邪推して不機嫌となり、原告に一郎を抱かせなくなってきた、口論となると、被告は、「あんたなんかに育てられたらろくなもんにならない。私がアパートで一人で育てる。あんたなんかの世話にはならない。」「じゃあ、別れるのね。」などと暴言を吐く始末となり、

(九) 同年10月24日ころには被告は実家に帰ってしまった。そして、市役所の生活相談課において同年11月4日原告は被告とつぎの話し合いをした。

(イ)互いに実家に行くときは一緒に行く。一人で行ったときは必ず報告をする。

(ロ)被告は貯金通帳や保険証を実家に預けていたし、家計の収支を明かさないので、右証書は自宅に保管すること。家計簿を原告に示すこと。

(ハ)被告は通帳を使い、原告はキャッシュカードを使って貯金の払い戻しをする。原告が婚姻前から貯金より小遣いの取り崩しをしていたので、右の分金80万円を被告は原告に返還する。

(一〇)平成7年3月ころからは原告は帰宅すると一郎を抱いて近所の散歩を楽しみ、帰宅時には玄関まで一郎が原告を出迎え、出勤時には被告と一郎が見送る毎日であったが、同年5月14日の母の日に両家の母にプレゼントを持っていく際、被告は必ず自己の実家を優先させようとして怒ったことがある。

(一一)平成7年7月22日には、貝がたくさん採れたので、実家によってあげようと思ったが、道中、被告が突然、「どこに行くのよ。」と言ったのでわけを話すと、被告は怒りだし、実家に寄るのなら被告と一郎を自宅に降ろしてから一人で行ってくれと言うのである。原告が「貝を渡すだけですぐ帰るから。」と弁解しても、被告は、「どうしても実家に寄っていくのなら車から降りるから、車を止めてほしい。」と言うので原告が車を停止させると、被告は寝ていた一郎を降りようとするので、原告において一郎を抱き取ろうとしたが、同人が泣き出したのでこれを止し、結局原告は実家に寄らずに自宅に帰宅した。

 (一二)その翌日、被告は午後7時過ぎまで帰宅せず、帰っても一郎を連れて勝手に食事をし、風呂に入り、別の部屋に布団を敷いて寝てしまう始末であり、その翌々日も同様であった。

 (一三)原告はかねてより被告が返すといっていたキャッシュカードを捜しているうち、おむつ袋から金40万円を見付けたので、同年7月24日被告にその使途を問い資したところ、半分は自分に権利があるので言う必要はないという被告のけんもほろろの返答であったうえ、一郎が起きあがってきたので原告が抱きあげると、被告は「キャー」と言って飛びかかってきて一郎を奪い返そうとした、一郎は泣きだし被告は半狂乱の状態であったので、原告は一郎を離した、原告は心配になり、両方の親に来てくれるよう電話を入れておいた、

 (一四)当日、原告が帰宅するとメモがあり被告が一郎を連れて実家に帰った模様なので、原告は母を呼出し、二人して被告の実家に赴き、被告を説得して一応は帰宅させた。

 (一五)しかし、翌25日原告が帰宅すると、「考えさせて下さい。」としたためた被告のメモがあり、被告は貯金通帳や写真等を持出して一郎とともに実家に戻ってしまった、

 (一六)同年7月28日原告は被告の実家に出向いたが、被告の母親に鍵や家中のカーテンを閉められ、原告はやむなく叔父に仲介を頼んだが効を奏しなかった、

 2(一)右被告の別居後の双方から提起された調停の経過は第一項二2ないし4記載のとおりであるが、面接交渉調停事件の係属中平成8年2月2日には原告の不在中、ドアの鍵を壊され、被告に荷物を無断で持ち出されることがあり、

 (二)また、同年2月6日の調停の席上、6か月ぶりに一郎に会った原告には、一郎の方から忘れているようであり、被告は一郎を抱いたままで虚しい表情を見せ、原告が持参した車の玩具を手渡すのにも15分を要するものであった、

 (三)さらに、平成9年9月18日の調停の席上では、被告は一郎に原告が父親であることも告げずに原告がプレゼントしようとした車の玩具に対しても、被告は、「知らない人からものをもらってはいけない。」と一郎をたしなめる始末であった、

 (四)同年10月13日の調停の席上では、原告が父親であると一郎に告げると被告は泣き出したため、一郎が動揺する始末であった、

 3(一)(1)調停成立後、原告は未払保険料のうち、金30万円を平成10年6月10日払い込み、保険証書と保険料領収帳、保険契約者承継請求書を代理人に託し、相手方代理人に渡して貰った、

 (2)原告としては、右を早く履行し、一郎との面接交渉をできるだけ早く実現して貰いたいと思ったからである、

 (二)しかしながら、面接交渉の日には被告は一郎を連れて現れなかった、

 (三)そこで、原告は家庭裁判所調査官を通じて履行の勧告をして貰ったが、結局面接交渉は実現しなかった、



二 右に対して、被告は次のとおり供述する(<証拠略>による。)

 1(一)原告と被告はスキー同好会で知り合い、交際を重ねるうち平成4年6月には婚約するに至ったが、原告は次男であり、被告は一人娘であったので、被告としてはゆくゆくは両親と同居したい希望を持っていたが、原告がそれを望まず、当面は別居して暮らすということになった、

 (二)原告との婚姻生活は、当初から順調とはいい難く、原告は用事がない限り被告に話しかけてくることは滅多になかった、また、原告は足繁くその実家に通い、些細なことで口論となると一人で実家に帰り泊まってくるようなことがよくあった、被告は原告に対し、原告が婚姻後も母親から離れようとしないので、「たとえ夫婦喧嘩があってもそれは二人のことだから、いちいち実家に帰らないで。」と恃んでも、原告は一層不機嫌になった、

(三)原告は被告に対し、「お前と結婚するために何円つかった。」「旅行にも連れていってやった。」「お前にただ飯を食わせるわけには行かない。働け、働け。」、「この家は俺の家だ。敷金、礼金を払ったのは俺だ。お前は出て行け。」、「お前と結婚する気はなかった。お前がちょろちょろ後をついて来るから、お前と結婚したのだ。」という嫌がらせの言葉を吐き、興奮すると、「てめえ、俺をなめんなよ。」等とやくざまがいの言動をし、「お前は最低の女だ。」と侮辱することもあった、

 (四)また、気に入らないことが、被告のバックから被告の使っている車のキーを持出、その車で実家に帰ることがあった、被告が翌日の出勤に差し支えるから返して欲しいと言うと、「車が欲しければ、自分で取りに行け。」と息巻き、被告はやむを得ず深夜に徒歩で原告の実家まで車を取りに行ったこともあった、

(五)平成6年1月に長男一郎が産まれたが、原告は一郎に無関心ではなかったが、自分のやりたいことがあると常にそのことを一郎のことよりも優先した、原告はそのころも頻繁に実家に帰っており、被告は仲人に原告が親離れしないで困っていると相談したこともあった、

(六)平成7年7月22日潮干狩りの帰途、原告がいきなり原告の実家に行こうと言い出し、後部座席で一郎を抱いていた被告は、一郎が眠そうな様子であったから、「一度家に帰って一郎を寝かせてからにしたら。」と原告に提案したところ、原告は路上に車を停止させ、被告に対し、「お前だけ降りろ。」などと言って抱いていた一郎の身体を手で掴み、引っ張って無理矢理奪い取ろうとした。被告が抵抗すると、被告の身体を窓ガラスに強く押し付ける行為に及び、被告は一郎を抱いたまま車から降りて避難した、その後原告が落ち着いたため、再び車に乗って自宅に戻った、

(七)翌々日、被告が加入していた学資保険のことで口論となり、原告から解約するように言われたので、被告において保険料を払い続けると言うと、原告は突然怒りだし、いきなりまだ寝ていた一郎を抱いて外に連れ出そうとした、そして、取り返そうとする被告を居間の食器棚に押し付けて喉の辺りを強く押して圧迫してきた、このため、被告はその日の昼ころ一郎を連れて実家に帰った、

 (八)その夜、原告とその母親が被告の実家を訪れ、自宅に戻って来て欲しいと申し入れたが、被告は原告に対する恐怖心からこれを断ると、原告はいきなりその場にいた一郎を掴んで外へ連れ出して帰ろうとし、被告と子の取り合いとなった、その日は一旦自宅に帰ったが、一晩たっても原告の態度は変わらないと考え、同年25日には一郎を連れて再び実家に帰った、

 2(一)調停に移行した離婚控訴において、被告においては離婚と慰謝料を求めたが、原告はこれを拒否し、一郎との面接交渉を強く求めてきた、

 (二)平成10年6月3日の調停において被告は原告から養育費に代えて学資保険の譲渡を受けることとなったが、保険料の一部未払い分金30万円を原告が負担することとなり、被告はこの支払条件として被告名義の貯金口座に振り込むことを要求した、これは満期返戻金を受領する際に贈与税ないし一時所得税が課せられることとなるから口座に振り込む方が有利であるという理由によるものである、かくて、調停が成立した、

 3(一)その後、原告からの申入れにより、被告は平成10年7月30日午前9時30分から、佐鳴湖公園において原告と一郎との面接を行うことを承諾した、

 (二)ところが、原告は前記調停における約束を破り、所持していた学資保険の保険証書を使って同年6月10日ころ未払保険料金30万円を直接郵便局に払い込んでしまった、このことは原告の被告に対するこだわりから被告に直接送金したくないという行動としか考えられない、

 (三)このことに被告は腹がたち、原告代理人に面接交渉には応じないと伝え、当日佐鳴湖公園には行かなかった、

 (四)その後、家庭裁判所調査官からの履行勧告があったが、これにも応じなかった、



 三:1まず、被告は、原告に対して一郎との面接交渉を拒絶したのは、婚姻後原告が自己本位でわがままであるとして、これが遠因であると主張する。しかしながら、

 (一)新居をそれぞれの両親から独立したアパートで営むことができたということ(前記一1(一)、(二)、ならびに二1(一))は前記第二項一1で看るとおり双方の両親からの干渉もなく夫婦がお互いに独立した人格を持って基底社会である家庭を築き上げるという理想的な形態ではあったが、この家庭において、原告は、それなりに家事に協力し、被告の妊娠中は炊事、洗濯等の協力もしてきたことが窺がわれるのである(前記一1(四)、(六)、(七)、(一〇))。

 (二)右に反し、

(1)何せ被告は一人娘であることとて、その人格は幼稚であり、何かにつけて極論を吐いたり激怒し(前記一1(三)、(五))、ことがあるとその実家に帰り(前記一1(九)、(一四)、(一五))、原告をてこづらせ困らせていたことが窺がわれるのである(前記一1)。

(2)また、被告はその実家によく帰ったり、気にいらないことがあると行方も知れず自宅を出ていくことが多い反面(前記一1(四)、(一二))、原告の実家を極端に嫌っている風が見受けられる(前記一1(二)、(八)、(一〇)、(一一))。

 貝がたくさん採れたということから、一郎も連れて家族全員元気な顔を見せるのは、一郎にとってもたとえ眠たいときには寝かせておけばよいのであり、何ら立ち寄ることには苦痛はないはずであって、そのお裾分けを実家にしようと思い立つのは人情と言ってよく、一旦自宅に帰り一人で行けということは右原告の実家を毛嫌いする被告の態度の特徴であるといわざるを得ない。

 (3)被告は、子供の躾や家庭内の経済等夫婦で相談のうえ協力して築きあげていくべき問題についても秘密にすることが多く(前記一1(九)(イ)、(ハ)、(一三))、約束事を守らないことも多い(前記一1(九)(ロ)は被告より開示されずじまいであったことが<証拠略>によって窺われる)。

 (4)また、被告には邪推が多いこともその人格特性である。すなわち、鍼灸接骨院に原告が出かけたことを実家に帰ったと邪推したり(前記一1(八))、2台の車のこともアパート管理人から2台分の駐車代を払うよう苦情を言われたことを被告が正確に聞き分けなかったことによるものであり(前記一1(五)、これに反する乙第一号証は措信し難い(前記二1(四))、

 (三)(1)以上のこと、特に右(二)(2)のことは、被告とその両親との結びつきが強固であることを意味し、被告が充分親離れしないままに未成熟な人格として成長したことを示すのであって、別居後の被告の両親の態度等にもそれが見受けられるのである(原告が被告の実家を訪れた際、被告の母に鍵をかけられたことなど前記一1(一六)や、被告の父から原告が、「わしは娘がいなくなり寂しくてしょうがない。」と嘆いたり、「馬鹿野郎、お前なんかに挨拶なんかない。」とか、「帰ればいいんだろう、じゃあ帰れ」と怒鳴られたりしていることにも窺がわれるのである。)

 (2)さらに、別居後の調停の席上、原告から一郎を遠ざけようとする被告の態度(前記一2(二)、(三)、(四))は、社会人として成長した暁には人格として備わっていなくてはならない二つの特性、すなわち、人間の母性原理の他、父性原理を一郎自身が学習すべき絶好の機会を被告自らが摘み取っている態度というべく、決して讃められた態度ではない。子供は産まれたときから二親とは別個独立の人格を有し、その者固有の精神的世界を有し、固有の人生を歩むというべく、決して、母親たる被告の所有物ではないのである。

 (四)以上の他、被告の供述はいずれもにわかに措信し難いものがあるといわなければならない。

 2 以上のとおり、被告が原告の許を離れて別居するに至ったのは、本件調停の経過や調停離婚成立の過程を併せ考慮すれば、決して原告が自己本位でわがままであるからというのではなく、むしろ、被告の親離れしない幼稚な人格が、家庭というものの本質を弁えず、子の監護養育にも深く考えることなく、自己のわがままでしたことであって、そのわがままな態度を原告に責任転換しているものという他はなく、右被告の被告の別居に至る経過が今回の面接交渉拒否の遠因となるとする被告の主張は到底採るを得ない(採るに足りない)。



 四 なお、学資保険の未払保険料金30万円の支払は、必ず被告の貯金口座に振り込むことが条件であったと、被告は主張するが、これとても、<証拠略>によってもこれを認めるに足りず、そもそも被告が満期返戻金を受領する際に贈与税が課税されるとしても、せいぜい10パーセント内外の経済的負担を被告が一時的に負うにすぎないものというべく、到底父性原理の習得という重大な人間的価値と比較すれば、被告の右主張は採るに足りない言いがかりという他はない。



 第四、以上のとおりであるとすれば、被告が原告に対して一郎との面接交渉を拒否したことは、親権が停止されているとはいえ、原告の親としての愛情に基く自然の権利を、子たる一郎の福祉に反する特段の事情もないのに、ことさらに妨害したということができるのであって、前項で検討した諸事情を考慮すれば、その妨害に至る経緯、期間、被告の態度などからして原告の精神的苦痛を慰謝するには金500万円が相当である。



 第五、よって、本訴請求はこれを認容することとし(なお、訴状送達の日の翌日が平成10年12月27日であることは一件記録上明かである)、訴訟費用につき民事訴訟法第六一条を、仮執行の宣言につき同法第二五九条第一項を適用し主文のとおり判断する。

(裁判官 宗 哲郎)