読経はうつ退治にも効果があると言われます。声を出すことで、唾液が分泌され、呼吸法が整えられるからです。私自身も、読経で、うつを克服した経験があります。FPかしわ。は、学会員ではありませんが、日蓮正宗の信者なので法華経の一説を書き記します。大きな声を上げて、唱題してみてください。きっと、心の底から、生命力が湧いてくるはずです。なお、今まで掲載していた訳出(通解)は以下のような理由から掲載することをやめました。

(1) 日々の信仰は戒壇(大石寺)のご本尊に手を合わせ祈るのが根本であり、このページを読むだけでは信仰の基本が理解できない
(2) このページを読むだけで満足してしまうと、一種の遥拝(ようはい)勤行に陥り、大石寺から破門された宗教団体と同じような過ちを犯しかねない
(3) 訳出文自体に稚拙な個所があり、法華経の真髄を表現できていない

このページでの法華経の紹介は、あくまで法華経の奥深さを知るために、糸口となるものにすぎません。一人でも多くの方がこのページを通して、法華経や日蓮正宗の深遠さに触れるきっかけとなり、ご縁していただければ幸いです。

* 妙法蓮華経方便品第二 ↑戻る

爾時世尊(にじせそん) 従三昧(じゅうさんまい) 安詳而起(あんじょうにき) 告舎利佛(ごうしゃりほつ) 諸佛智慧(しょうぶつちえ) 甚深無量(じんじんむりょう) 其智慧門(ごちえもん) 難解難入(なんげなんにゅう) 一切声聞(いっさいしょうもん) 辟支佛(ひゃくしぶつ) 所不能知(しょふのうち) 所以者何(しょいしゃが) 佛曾親近(ぶつぞうしんごん) 百千万億(ひゃくせんまんのく) 無数諸佛(むしゅしょぶつ) 尽行諸佛(じんぎょうしょぶつ) 無量道法(むりょうどうほう) 勇猛精進(ゆうみょうしょうじん) 名称普聞(みょうしょうふもん) 成就甚深(じょうじゅじんじん) 未曾有法(みぞううほう) 随宜所説(ずいぎしょせつ) 意趣難解(いしゅなんげ) 舎利佛(しゃりほつ) 吾従成佛已来(ごじょうぶついらい) 種種因縁(しゅじゅいんねん) 種種譬喩(しゅじゅひゆ) 廣演言教(こうえんごんぎょう) 無数方便(むしゅほうべん) 引導衆生(いんどうしゅうじょう) 令離諸著(りょうりしょじゃく) 所以者何(しょいしゃが) 如来方便(にょらいほうべん) 知見波羅蜜(ちけんはらみつ) 皆已具足(かいいぐそく) 舎利佛(しゃりほつ) 如来知見(にょらいちけん) 廣大深遠(こうだいじんのん) 無量(むりょう) 無碍(むげ) 力(りき) 無所畏(むしょい) 禪定(ぜんじょう) 解脱(げだつ) 三昧(ざんまい) 深入無際(じんにゅうむさい) 成就一切(じょうじゅいっさい) 未曾有法(みぞううほう) 舎利佛(しゃりほつ) 如来能種種分別(にょらいのうしゅじゅぶんべつ) 巧説諸法(ぎょうせつしょほう) 言辭柔軟(ごんじにゅうなん) 悦可衆心(えっかしゅうしん) 舎利佛(しゃりほつ) 取要言之(しゅうようごんし) 無量無邊(むりょうむへん) 未曾有法(みぞううほう) 佛悉成就(ぶっしつじょうじゅ) 止(し) 舎利佛(しゃりほつ) 不須復説(ぶしゅぶせつ) 所以者何(しょいしゃが) 佛所成就(ぶっしょじょうじゅ) 第一希有(だいいちけう) 難解之法(なんげしほう) 唯佛與佛(ゆいぶつよぶつ) 乃能究尽(ないのうくじん) 諸法實相(しょほうじっそう) 

所謂諸法(しょいしょほう) 如是相(にょぜそう) 如是性(にょぜしょう) 如是體(にょぜたい) 如是力(にょぜりき) 如是作(にょぜさ) 如是因(にょぜいん) 如是縁(にょぜえん) 如是果(にょぜか) 如是報(にょぜほう) 如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)


* 太字のところは3回繰り返してください。


<妙法蓮華経方便品第二の漢字仮名交じり文> ↑戻る

爾(そ)の時に世尊(せそん)、三昧(さんまい)より、安詳(あんじょう)として起って、舎利佛(しゃりほつ)に告げたまわく、
諸佛(しょうぶつ)の智慧は、甚深無量(じんじんむりょう)なり。其の智慧の門は、難解難入(なんげなんにゅう)なり。一切の声聞(しょうもん)、辟支佛(ひゃくしぶつ)の知ること能(あた)わざる所なり。所以(ゆえ)は何(いか)ん。佛(ほとけ)曾(かつ)て、百千万億無数(ひゃくせんまんのくむしゅ)の諸佛(しょぶつ)に親近(しんごん)し、尽(ことごと)く、諸佛(しょぶつ)の無量の道法(どうほう)を行じ、勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)して、名称(みょうしょう)普(あまね)く聞こえたまえり。甚深未曾有(じんじんみぞう)の法(ほう)を成就(じょうじゅ)して、宜(よろ)しきに随って説きたもう所、意趣(いしゅ)解し難し。

舎利佛(しゃりほつ)、吾(われ)成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、種種(しゅじゅ)の因縁(いんねん)、種種(しゅじゅ)の譬喩(ひゆ)をもって廣(ひろ)く言教(ごんぎょう)を演(の)べ、無数(むしゅ)の方便(ほうべん)をもって衆生(しゅうじょう)を引導(いんどう)して、諸(もろもろ)の著(じゃく)を離れしむ。所以(ゆえ)は何(いか)ん。如来(にょらい)は方便(ほうべん)、知見波羅蜜(ちけんはらみつ)、皆已(すで)に具足(ぐそく)せり。舎利佛(しゃりほつ)、如来(にょらい)の知見(ちけん)は、廣大深遠(こうだいじんのん)なり。無量(むりょう)、無碍(むげ)、力(りき)、無所畏(むしょい)、禪定(ぜんじょう)、解脱(げだつ)、三昧(さんまい)あって、深く無際(むさい)に入(い)り、一切未曾有(いっさいみぞう)の法(ほう)を成就(じょうじゅ)せり。

舎利佛(しゃりほつ)、如来(にょらい)は能(よ)く種種(しゅじゅ)に分別(ぶんべつ)し、巧(たくみ)に諸法(しょほう)を説き、言辭柔軟(ごんじにゅうなん)にして、衆(しゅ)の心を悦可(えっか)せしむ。舎利佛(しゃりほつ)、要(よう)を取って、之(これ)を言わば、無量無邊未曾有(むりょうむへんみぞう)の法(ほう)を、佛(ほとけ)悉(ことごと)く成就(じょうじゅ)したまえり。止(や)みなん、舎利佛(しゃりほつ)。復(また)説くべからず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。佛(ほとけ)の成就(じょうじゅ)したまえる所は、第一希有難解(だいいちけうなんげ)の法(ほう)なり。唯(ただ)佛(ほとけ)と佛(ほとけ)とのみ、乃(いま)し能(よ)く諸法(しょほう)の實相(じっそう)を究尽(くじん)したまえり。

所謂(いわゆる)諸法(しょほう)の如是相(にょぜそう)、如是性(にょぜしょう)、如是體(にょぜたい)、如是力(にょぜりき)、如是作(にょぜさ)、如是因(にょぜいん)、如是縁(にょぜえん)、如是果(にょぜか)、如是報(にょぜほう)、如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)なり。
* この一説は『妙法蓮華経 開結』(第六十七世 日顕上人・編、大石寺)を参考にしました。

* 妙法蓮華経如来壽量品第十六 ↑戻る

爾時佛告(にじぶつごう) 諸菩薩(しょうぼさつ) 及一切大衆(ぎゅういっさいたいしゅ) 諸善男子(しょうぜんなんし) 汝等當信解(にょうとうとうしんげ) 如来誠諦之語(にょらいじょうたいしご) 復告大衆(ぶこうたいしゅ) 汝等當信解(にょうとうとうしんげ) 如来誠諦之語(にょらいじょうたいしご) 又復告諸大衆(うぶこうしょうたいしゅ) 汝等當信解(にょうとうとうしんげ) 如来誠諦之語(にょらいじょうたいしご) 是時菩薩大衆(ぜじぼさつたいしゅ) 彌勒爲首(みろくいしゅ) 合掌白佛言(がっしょうびゃくぶつごん) 世尊(せそん) 唯願説之(ゆいがんせっし) 我等當信受佛語(がとうとうしんじゅつぶつご) 如是三白已(にょぜさんびゃくい) 復言(ぶごん) 唯願説之(ゆいがんせっし) 我等當信受佛語(がとうとうしんじゅつぶつご) 爾時世尊(にじせそん) 知諸菩薩(ちしょぼさつ) 三請不止(さんしょうふし) 而告之言(にごうしごん) 汝等諦聽(にょうとうたいちょう) 如来秘密(にょらいひみつ) 神通之力(じんつうしりき) 一切世間(いっさいせけん) 天人(てんにん) 及阿修羅(ぎゅうあしゅら) 皆謂今釋迦牟尼佛(かいいこんしゃかむにぶつ) 出釋氏宮(しゅっしゃくしぐう) 去伽耶城不遠(こがやじょうふおん) 坐於道場(ざおどうじょう) 得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい) 然善男子(ねんぜんなんし) 我實成佛已来(がじつじょうぶついらい) 無量無邊(むりょうむへん) 百千万億(ひゃくせんまんのく) 那由他劫(なゆたこう) 譬如五百千万億(ひにょごひゃくせんまんのく) 那由他(なゆた) 阿僧祇(あそうぎ) 三千大千世界(さんぜんだいせんせかい) 假使有人(けしうにん) 抹爲微塵(まっちみじん) 過於東方(かおとうぼう) 五百千万億(ごひゃくせんまんのく) 那由他(なゆた) 阿僧祇國(あそうぎこく) 乃下一塵(ないげいちじん) 如是東行(にょぜとうぎょう) 盡是微塵(じんぜみじん) 諸善男子(しょぜんなんし) 於意云何(おいうんが) 是諸世界(ぜしょせかい) 可得思惟校計(かとくしゆいきょうけ) 知其數不(ちごしゅふ) 彌勒菩薩等(みろくぼさつとう) 倶白佛言(くびゃくぶつごん) 世尊(せそん) 是諸世界(ぜしょせかい) 無量無邊(むりょうむへん) 非算數所知(ひさんじゅしょち) 亦非心力所及(やくひしんりきしょぎゅう) 一切聲聞(いっさいしょうもん) 辟支佛(ひゃくしぶつ) 以無漏智(いむろち) 不能思惟(ふのうしゆい) 知其限數(ちごげんしゅ) 我等住(がとうじゅう) 阿惟越致地(あゆいおっちじ) 於是事中(おぜじちゅう) 亦所不達(やくしょふだつ) 世尊(せそん) 如是諸世界(にょぜしょせかい) 無量無邊(むりょうむへん) 爾時佛告(にじぶつごう) 大菩薩衆(だいぼさつしゅ) 諸善男子(しょうぜんなんし) 今當分明(こんとうふんみょう) 宣語汝等(せんごにょうとう) 是諸世界(ぜしょせかい) 若著微塵(にゃくちゃくみじん) 及不著者(ぎゅうふちゃくしゃ) 盡以爲塵(じんにいじん) 一塵一劫(いちじんいっこう) 我成佛已来(がじょうぶついらい) 復過於此(ぶかおし) 百千万億(ひゃくせんまんのく) 那由他(なゆた) 阿僧祇劫(あそうぎこう) 自從是来(じじゅうぜらい) 我常在此(がじょうざいし) 娑婆世界(しゃばせかい) 説法教化(せっぽうきょうげ) 亦於餘處(やくおよしょ) 百千万億(ひゃくせんまんのく) 那由他(なゆた) 阿僧祇國(あそうぎこく) 導利衆生(どうりしゅうじょう) 諸善男子(しょぜんなんし) 於是中間(おぜちゅうげん) 我説燃燈佛等(がせつねんとうぶっとう) 又復言其(うぶごんご) 入於涅槃(にゅうおねはん) 如是皆以(にょぜかいい) 方便分別(ほうべんぶんべつ) 諸善男子(しょぜんなんし) 若有衆生(にゃくうしゅじょう) 来至我所(らいしがしょ) 我以佛眼(がいぶつげん) 觀其信等(かんごしんとう) 諸根利鈍(しょうこんりどん) 随所応度(ずいしょおうど) 處處自説(しょしょじせつ) 名字不同(みょうじふどう) 年紀大小(ねんきだいしょう) 亦復現言(やくぶげんごん) 當入涅槃(とうにゅうねはん) 又以種種方便(ういしゅじゅほうべん) 説微妙法(せつみみょうほう) 能令衆生(のうりょうしゅじょう) 發觀喜心(ほっかんきしん) 諸善男子(しょうぜんなんし) 如来見諸衆生(にょらいけんしょしゅじょう) 樂於小法(ぎょうおしょうほう) 徳薄垢重者(とくはくくうじゅうしゃ) 爲是人説(いぜにんせつ) 我少出家(がしょうしゅっけ) 得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい) 然我實成佛已来(ねんがじつじょうぶついらい) 久遠若斯(くおんにゃくし) 但以方便(たんにほうべん) 教化衆生(きょうけしゅじょう) 令入佛道(りょうにゅうぶつどう) 作如是説(さにょぜせつ) 諸善男子(しょぜんなんし) 如来所演経典(にょらいしょえんきょうでん) 皆爲度脱衆生(かいいどだつしゅじょう) 或説己身(わくせつこしん) 或説他身(わくせつたしん) 或示己身(わくじこしん) 或示他身(わくじたしん) 或示己事(わくじこじ) 或示他事(わくじたじ) 諸所言説(しょしょごんせつ) 皆實不虚(かいじつふこ) 所以者何(しょいしゃが) 如来如實知見(にょらいにょじつちけん) 三界之相(さんがいしそう) 無有生死(むうしょうじ) 若退若出(にゃくたいにゃくしゅつ) 亦無在世(やくむざいせ) 及滅度者(ぎゅうめつどしゃ) 非實非虚(ひじつひこ) 非如非異(ひにょひい) 不如三界(ふにょさんがい) 見於三界(けんのさんがい) 如斯之事(にょししじ) 如来明見(にょらいみょうけん) 無有錯謬(むうしゃくみょう) 以諸衆生(いしょしゅじょう) 有種種性(うしゅじゅしょう) 種種欲(しゅうじゅうよく) 種種行(しゅうじゅうぎょう) 種種憶想(しゅうじゅうおくそう) 分別故(ぶんべつこ) 欲令生諸善根(よくりょうしょうしょぜんこん) 以若干因縁(いにゃっかんいんねん) 譬喩言辞(ひゆごんじ) 種種説法(しゅじゅせっぽう) 所作佛事(しょさぶつじ) 未曾暫廢(みぞうざんぱい) 如是我成佛已来(にょぜがじょうぶついらい) 甚大久遠(じんだいくおん) 寿命無量(じゅみょうむりょう) 阿僧祇劫(あそうぎこう) 常住不滅(じょうじゅうふめつ) 諸善男子(しょぜんなんし) 我本行菩薩道(がほんぎょうぼさつどう) 所成寿命(しょじょうじゅみょう) 今猶未盡(こんゆうみじん) 復倍上數(ぶばいじょうしゅ) 然今非實滅度(ねんこんひじつめつど) 而便唱言(にべんしょうごん) 當取滅度(とうしゅめつど) 如来以是方便(にょらいいぜほうべん) 教化衆生(きょうけしゅうじょう) 所以者何(しょいしゃが) 若佛久住於世(にゃくぶつくじゅうおせ) 薄徳之人(はくとくしにん) 不種善根(ふしゅぜんこん) 貧窮下賤(びんぐげせん) 貪著五欲(とんじゃくごよく) 入於憶想(にゅうおおくそう) 妄見網中(もうけんもうちゅう) 若見如来(にゃっけんにょらい) 常在不滅(じょうざいふめつ) 便起?恣(べんききょうし) 而懐厭怠(にええんだい) 不能生於(ふのうしょうお) 難遭之想(なんぞうしそう) 恭敬之心(くぎょうししん) 是故如来(ぜこにょらい) 以方便説(いほうべんせつ) 比丘當知(びくとうち) 諸佛出世(しょうぶつしゅっせ) 難可値遇(なんかちぐ) 所以者何(しょいしゃが) 諸薄徳人(しょはくとくにん) 過無量百千万億劫(かむりょうひゃくせんまんのくこう) 或有見佛(わくうけんぶつ) 或不見者(わくふけんしゃ) 以此事故(いしじこ) 我作是言(がさぜごん) 諸比丘(しょびく) 如来難可得見(にょらいなんかとっけん) 斯衆生等(ししゅじょうとう) 聞如是言(もんにょぜご) 必當生於(ひっとうしょうお) 難遭之想(なんぞうしそう) 心懐戀慕(しんねれんぼ) 渇仰於佛(かつごうおぶつ) 便種善根(べんしゅぜんこん) 是故如来(ぜこにょらい) 雖不實滅(すいふじつめつ) 而言滅度(にごんめつど) 又善男子(うぜんなんし) 諸佛如来(しょぶつにょらい) 法皆如是(ほうかいにょぜ) 爲度衆生(いどしゅじょう) 皆實不虚(かいじつふこ) 譬如良醫(ひにょろうい) 智慧聰達(ちえそうだつ) 明練方藥(みょうれんほうやく) 善治衆病(ぜんじしゅびょう) 其人多諸子息(ごにんたしょしそく) 若十(にゃくじゅう) 二十(にじゅう) 乃至百數(ないしひゃくしゅ) 以有事縁(いうじえん) 遠至餘國(おんしよこく) 諸子於後(しょしおご) 飲他毒藥(おんたどくやく) 藥發悶乱(やくほつもんらん) 宛轉于地(えんでんうじ) 是時其父(ぜじごぶ) 還來帰家(げんらいきけ) 諸子飲毒(しょしおんどく) 或失本心(わくしつほんしん) 或不失者(わくふしっしゃ) 遥見其父(ようけんごぶ) 皆大歡喜(かいだいかんき) 拝跪問訊(はいきもんじん) 善安穏帰(ぜんなんのんき) 我等愚癡(がとうぐち) 誤服毒藥(ごぶくどくやく) 願見救療(がんけんくりょう) 更賜壽命(きょうしじゅみょう) 父見子等(ぶけんしとう) 苦惱如是(くのうにょぜ) 依諸経方(えしょきょうぼう) 求好藥草(ぐこうやくそう) 色香美味(しきこうみみ) 皆悉具足(かいしつぐそく) 擣篩和合(とうしわごう) 與子令服(よしりょうぶく) 而作是言(にさぜごん) 此大良藥(しだいりょうやく) 色香美味(しきこうみみ) 皆悉具足(かいしつぐそく) 汝等可服(にょうとうかぶく) 速除苦惱(そくじょくのう) 無復衆患(むぶしゅげん) 其諸子中(ごしょしちゅう) 不失心者(ふしっしんじゃ) 見此良藥(けんしろうやく) 色香倶好(しきこうぐこう) 即便服之(そくべんぶくし) 病盡除愈(びょうじんじょゆ) 餘失心者(よしっしんじゃ) 見其父來(けんごぶらい) 雖亦歡喜問訊(すいやっかんぎもんじん) 求索治病(ぐしゃくじびょう) 然與其藥(ねんよごやく) 而不肯服(にふこうぶく) 所以者何(しょいしゃが) 毒気深入(どっけじんにゅう) 失本心故(しっぽんしんこ) 於此好色香藥(おしこうしきこうやく) 而謂不美(にいふみ) 父作是念(ぶさぜねん) 此子可愍(ししかみん) 爲毒所中(いどくしょちゅう) 心皆?倒(しんかいてんどう) 雖見我喜(すいけんがき) 求索救療(ぐしゃっくりょう) 如是好藥(にょぜこうやく) 而不肯服(にふこうぶく) 我今當設方便(がこんとうせつほうべん) 令服此藥(りょうぶくしやく) 即作是言(そくさぜごん) 汝等當知(にょうとうとうち) 我今衰老(がこんすいろう) 死時已至(しじいし) 是好良藥(ぜこうろうやく) 今留在此(こんるざいし) 汝可取服(にょかしゅぶく) 勿憂不差(もっつうふさい) 作是教已(さぜきょうい) 復至他國(ぶしたこく) 遣使還告(けんしげんこう) 汝父已死(にょぶいし) 是時諸子(ぜじしょし) 聞父背喪(もんぶはいそう) 心大憂惱(しんだいうのう) 而作是念(にさぜねん) 若父在者(にゃくぶざいしゃ) 慈愍我等(じみんがとう) 能見救護(のうけんくご) 今者捨我(こんじゃしゃが) 遠喪他國(おんそうたこく) 自惟孤露(じゆいころ) 無復恃怙(むぶじこ) 常懐悲感(じょうえひかん) 心遂醒悟(しんすいしょうご) 乃知此藥(ないちしやく) 色香味美(しきこうみみ) 即取服之(そくしゅぶくし) 毒病皆愈(どくびょうかいゆ) 其父聞子(ごぶもんし) 悉已得差(しっちとくさい) 尋便來帰(じんべんらいき) 咸使見之(げんしけんし) 諸善男子(しょぜんなんし) 於意云何(おいうんが) 頗有人能(はうにんのう) 説此良醫(せっしろうい) 虚妄罪不(こもうざいふ) 不也(ほっちゃ)  世尊(せそん) 佛言(ぶつごん) 我亦如是(がやくにょぜ) 成佛已来(じょうぶついらい) 無量無邊(むりょうむへん) 百千万億(ひゃくせんまんのく) 那由佗(なゆた) 阿僧祇劫(あそうぎこう) 爲衆生故(いしゅじょうこ) 以方便力(いほうべんりき) 言當滅度(ごんとうめつど) 亦無有能(やくむうのう) 如法説我(にょほうせつが) 虚妄過者(こもうかしゃ) 爾時世尊(にじせそん) 欲重宣此義(よくじゅうせんしぎ) 而説偈言(にせつげごん)

自我得佛來(じがとくぶつらい) 所経諸劫數(しょきょうしょこっしゅ)
無量百千万(むりょうひゃくせんまん) 億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)
常説法教化(じょうせっぽうきょうけ) 無數億衆生(むしゅおくしゅじょう)
令入於佛道(りょうにゅうおぶつどう) 爾來無量劫(にらいむりょうこう)
爲度衆生故(いどしゅじょうこ) 方便現涅槃(ほうべんげんねはん)
而實不滅度(にじつふめつど) 常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)
我常住於此(がじょうじゅうおし) 以諸神通力(いしょじんつうりき)
令顛倒衆生(りょうてんどうしゅじょう) 雖近而不見(すいごんにふけん)
衆見我滅度(しゅうけんがめつど) 廣供養舎利(こうくようしゃり)
咸皆懐戀慕(げんかいえれんぼ) 而生渇仰心(にしょうかつごうしん)
衆生既信伏(しゅじょうきしんぶく) 質直意柔軟(しきじきいにゅうなん)
一心欲見佛(いっしんよくけんぶつ) 不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)
#時我及衆僧(じがぎゅうしゅそう) 倶出靈鷲山(くしゅつりょうじゅせん)
我時語衆生(がじごしゅじょう) 常在此不滅(じょうざいしふめつ)
以方便力故(いほうべんりきこ) 現有滅不滅(げんうめつふめつ)
餘國有衆生(よこくうしゅじょう) 恭敬信樂者(くぎょうしんぎょうしゃ)
我復於彼中(がぶおひちゅう) 爲説無上法(いせつむじょうほう)
汝等不聞此(にょうとうふもんし) 但謂我滅度(たんにがめつど)
我見諸衆生(がけんしょしゅじょう) 沒在於苦海(もつざいおくかい)
故不爲現身(こふいげんしん) 令其生渇仰(りょうごしょうかつごう)
因其心戀慕(いんごしんれんぼ) 乃出爲説法(ないしゅついせっぽう)
神通力如是(じんつうりきにょぜ) 於阿僧祇劫(おあそうぎこう)
常在靈鷲山(じょうざいりょうじゅうせん) 及餘諸住處(ぎゅうよしょじゅうしょ)
衆生見劫盡(しゅじょうけんこうじん) 大火所焼時(たいかしょしょうじ)
我此土安穏(がしどあんのん) 天人常充滿(てんにんじょうじゅうまん)
園林諸堂閣(おんりんしょどうかく) 種種寶莊嚴(しゅじゅほうしょうごん)
寶樹多華菓(ほうじゅたけか) 衆生所遊樂(しゅじょうしょうゆうらく)
諸天撃天鼓(しょてんぎゃくてんく) 常作衆伎樂(じょうさっしゅぎがく)
雨曼佗羅華(うまんだらけ) 散佛及大衆(さんぶつぎゅうたいしゅう)
我淨土不毀(がじょうどふき) 而衆見焼盡(にしゅけんしょうじん)
憂怖諸苦惱(うふしょくのう) 如是悉充滿(にょぜしつじゅうまん)
是諸罪衆生(ぜしょざいしゅじょう) 以悪業因縁(いあくごういんねん)
#過阿僧祇劫(かあそうぎこう) 不聞三寶名(ふもんさんぽうみょう)
諸有修功徳(しょうしゅくどく) 柔和質直者(にゅうわしちじきしゃ)
則皆見我身(そっかいけんがしん) 在此而説法(ざいしにせっぽう)
或時爲此衆(わくじいししゅ) 説佛壽無量(せつぶつじゅむりょう)
久乃見佛者(くないけんぶつしゃ) 爲説佛難値(いせつぶつなんち)
我智力如是(がちりきにょぜ) 慧光照無量(えこうしょうむりょう)
壽命無數劫(じゅみょうむしゅこう) 久修業所得(くしゅごうしょとく)
汝等有智者(にょうとううちしゃ) 勿於此生疑(もっとししょうぎ)
當斷令永盡(とうだんりょうようじん) 佛語實不虚(ぶつごじっぷこ)
如醫善方便(にょいぜんほうべん) 爲治狂子故(いじおうしこ)
實在而言死(じつざいにごんし) 無能説虚妄(むのうせっこもう)
我亦爲世父(がやくいせぶ) 救諸苦患者(くしょくげんしゃ)
爲凡夫?倒(いぼんぷてんどう) 實在而言滅(じつざいにごんめつ)
以常見我故(いじょうけんがこ) 而生?恣心(にしょうきょうししん)
放逸著五欲(ほういつじゃくごよく) 墮於悪道中(だおあくどうちゅう)
我常知衆生(がじょうちしゅじょう) 行道不行道(ぎょうどうふぎょうどう)
隨応所可度(ずいおうしょかど) 爲説種種法(いせつしゅじゅほう)
毎自作是念(まいじさぜねん) 以何令衆生(いがりょうしゅじょう)
得入無上道(とくにゅうむじょうどう) 速成就佛身(そくじょうじゅぶっしん)


南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)



* 太字のところは何回も繰り返してください。

<妙法蓮華経如来壽量品第十六の漢字仮名交じり文> ↑戻る

爾(そ)の時に佛(ほとけ)、諸の菩薩(ぼさつ)、及び一切の大衆(たいしゅ)に告げたまわく、
諸の善男子(ぜんなんし)、汝ら當(まさ)に如来(にょらい)の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし。

復(ま)た大衆(たいしゅ)に告げたまわく、
汝ら當(まさ)に、如来(にょらい)の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし。

又復(またま)た、諸の大衆(たいしゅ)に告げたまわく、
汝ら當(まさ)に、如来(にょらい)の誠諦(じょうたい)の語(ことば)を信解(しんげ)すべし。

是(こ)の時に菩薩大衆(ぼさつたいしゅ)、彌勒(みろく)を首(はじめ)と爲して、合掌(がっしょう)して佛(ほとけ)に白(もう)して言(もう)さく、
世尊(せそん)、唯(た)だ願わくは之(これ)を説きたまえ。我ら當(まさ)に佛(ほとけ)の語(みこと)を信受(しんじゅ)したてまつるべし。 

是(か)くの如く三たび白(もう)し已(おわ)って、復(ま)た言(もう)さく、
唯(た)だ願わくは之(これ)を説きたまえ。我ら當(まさ)に佛(ほとけ)の語(みこと)を信受(しんじゅ)したてまつるべし。

爾(そ)の時に世尊(せそん)、諸の菩薩(ぼさつ)の、三たび請(しょう)じて止(や)まざることを知ろしめして、之(これ)に告げて言(のたま)わく、
汝ら諦(あきら)かに聴け、如来(にょらい)の秘密、神通(じんつう)の力を。一切世間(いっさいせけん)の天、人、及び阿修羅(あしゅら)、皆今(みないま)の釋迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)は、釋氏(しゃくし)の宮を出でて、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、道場(どうじょう)に坐(ざ)して、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たまえりと謂(おも)えり。然るに善男子(ぜんなんし)、我れ實(じつ)に成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、無量無邊(むりょうむへん)、百千万億(ひゃくせんまんのく)、那由他劫(なゆたこう)なり。

譬(たと)えば五百千万億(ごひゃくせんまんのく)、那由他阿僧祇(なゆたあそうぎ)の三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を、假(たと)い人有って、抹(まっ)して微塵(みじん)となして、東方五百千万億(とうぼうごひゃくせんまんのく)那由他阿僧祇(なゆたあそうぎ)の國を過ぎて、乃ち一塵(いちじん)を下し、是(かく)の如く東に行きて、是の微塵(みじん)を盡くさんが如き、諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)よ、意(こころ)に於いて云何(いかん)。是の諸(もろもろ)の世界は、思惟(しゆい)し校計(きょうけ)して、其の數を知ること得べしや不(いな)や。

彌勒菩薩(みろくぼさつ)等、倶(とも)に佛(ほとけ)に白(もう)して言さく、
世尊(せそん)、是の諸(もろもろ)の世界は、無量無邊(むりょうむへん)にして、算數(さんじゅ)の知る所に非(あら)ず、亦(ま)た心力(しんりき)の及ぶ所に非(あら)ず、一切の聲聞(しょうもん)、辟支佛(ひゃくしぶつ)、無漏智(むろち)を以っても、思惟(しゆい)して其の限數(げんしゅ)を知ること能(あた)わじ。我等(われら)、阿惟越致地(あゆいおっちじ)に住すれども、是(こ)の事の中に於いては、亦(ま)た達せざる所なり。世尊(せそん)、是(かく)の如き諸(もろもろ)の世界、無量無邊(むりょうむへん)なり。

爾(そ)の時に佛(ほとけ)、大菩薩衆(だいぼさつしゅ)に告げたまわく、
諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、今當(まさ)に分明(ふんみょう)に、汝等(なんだち)に宣語(せんご)すべし。是の諸(もろもろ)の世界(せかい)の、若(も)しくは微塵(みじん)を著(お)き、及び著(お)かざる者を、盡(ことごと)く以って塵(ちり)と為(な)して、一塵(いちじん)を一劫(いっこう)とせん。我(われ)成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、復(また)此(これ)に過ぎたること、百千万億(ひゃくせんまんのく)那由他(なゆた)阿僧祇劫(あそうぎこう)なり。

是より来(このかた)、我(われ)常に此(こ)の娑婆世界(しゃばせかい)に在って、説法教化(せっぽうきょうげ)す。亦(また)餘處(よしょ)の百千万億(ひゃくせんまんのく)那由他(なゆた)阿僧祇(あそうぎ)の國に於(おい)ても、衆生(しゅうじょう)に導利(どうり)す。諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、是の中間(ちゅうげん)に於(おい)て、我(われ)燃燈佛等(ねんとうぶっとう)を説き、又復(またまた)、其(そ)れ涅槃(ねはん)に入ると言いき。是(かく)の如きは皆(みな)、方便(ほうべん)を以(もっ)て分別(ぶんべつ)せしなり。諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、若し衆生(しゅじょう)に有って、我が所(もと)に来至(らいし)するには、我(われ)佛眼(ぶつげん)を以(もっ)て、其の信等(しんとう)の諸根(しょこん)の利鈍(りどん)を觀(かん)じて、応(まさ)に度(ど)すべき所に随(したが)って、處處(しょしょ)に自(みずか)ら名字(みょうじ)の不同(ふどう)、年紀(ねんき)の大小(だいしょう)を説き、亦復(またまた)、現(げん)じて當(まさ)に涅槃(ねはん)に入るべしと言い、又(また)種種(しゅじゅ)の方便(ほうべん)を以(もっ)て、微妙(みみょう)の法を説き、能(よ)く衆生(しゅじょう)をして、觀喜(かんき)の心を發(おこ)さしめき。諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、如来(にょらい)諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)の、小法(しょうほう)を樂(ねが)える徳薄垢重(とくはくくじゅう)の者を見ては、是(こ)の人の爲(ため)に、我(われ)少(わか)くして出家(しゅっけ)し、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たりと説く。然るに我(われ)、實(じつ)に成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、久遠(くおん)なること斯(か)くの若(ごと)し、但(ただ)方便(ほうべん)を以(もっ)て、衆生(しゅじょう)を教化(きょうけ)し、佛道(ぶつどう)に入らしめんとして、是(かく)の如(ごと)き説を作(な)す。

諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、如来(にょらい)の演(の)ぶる所の経典(きょうでん)は、皆(みな)衆生(しゅじょう)を度脱(どだつ)せんが爲(ため)なり。或(あるい)は己身(こしん)を説き、或(あるい)は他身(たしん)を説き、或(あるい)は己身(こしん)を示し、或(あるい)は他身(たしん)を示し、或(あるい)は己事(こじ)を示し、或(あるい)は他事(たじ)を示す。

諸(もろもろ)の言説(ごんせつ)する所は、皆(みな)實(じつ)にして虚(むな)しからず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。如来(にょらい)は如實(にょじつ)に三界(さんがい)の相(そう)を知見(ちけん)す。生死(しょうじ)の、若(も)しは退(たい)、若(も)しは出(しゅつ)有ること無く、亦(また)在世(ざいせ)、及(およ)び滅度(めつど)の者も無し。實(じつ)に非(あら)ず、虚(こ)に非(あら)ず、如(にょ)に非(あら)ず、異(い)に非(あら)ず、三界(さんがい)の三界(さんがい)を見(み)るが如(ごと)くならず。斯(かく)の如(ごと)き事(じ)、如来(にょらい)明らかに見て、錯謬(しゃくみょう)有ること無し。諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)、種種(しゅじゅ)の性(しょう)、種種(しゅうじゅう)の欲(よく)、種種(しゅうじゅう)の行(ぎょう)、種種(しゅうじゅう)の憶想(おくそう)、分別(ぶんべつ)有るを以(もっ)ての故(ゆえ)に、諸(もろもろ)の善根(ぜんこん)を生ぜしめんと欲(ほっ)して、若干(そこばく)の因縁(いんねん)、譬喩(ひゆ)、言辞(ごんじ)を以(もっ)て、種種(しゅじゅ)に法を説く。所作(しょさ)の佛事(ぶつじ)、未だ曾(かつ)て暫(しばら)くも廢(はい)せず。

是(かく)の如く、我(われ)成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、甚(はなは)だ大いに久遠(くおん)なり。寿命(じゅみょう)無量(むりょう)阿僧祇劫(あそうぎこう)なり。常住(じょうじゅう)にして滅せず。諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、 我(われ)本(もと)菩薩(ぼさつ)の道(どう)を行じて、成(じょう)せし所の寿命(じゅみょう)、今猶(いまなお)未(いま)だ盡(つ)きず。復(また)上の數(すう)に倍せり。然(しか)るに今、實(じつ)の滅度(めつど)に非(あら)ざれども、而(しか)も便(すなわ)ち唱えて、當(まさ)に滅度(めつど)を取るべしと言う。

如来(にょらい)、是(こ)の方便(ほうべん)を以(もっ)て、衆生(しゅうじょう)を教化(きょうけ)す。所以(ゆえ)は何(いか)ん。若(も)し佛、久しく世に住(じゅう)せば、薄徳(はくとく)の人は、善根(ふしゅぜんこん)を種(う)えず。貧窮(びんぐ)下賤(げせん)にして、五欲(ごよく)に貪著(とんじゃく)し、憶想(おくそう) 妄見(もうけん)の網の中に入りなん。若(も)し如来(にょらい)、常(つね)に在って滅(めつ)せずと見ば、便(すなわ)ち?恣(きょうし)を起こして、厭怠(えんだい)を懐き、難遭(なんぞう)の想(おもい)、恭敬(くぎょう)の心を生ずること能(あた)わじ。是(こ)の故(ゆえ)に如来(にょらい)、方便(ほうべん)を以(もっ)て説く。

比丘(びく)當(まさ)に知るべし。諸佛(しょぶつ)の出世(しゅっせ)には値遇(ちぐ)すべきこと難(かた)し。所以(ゆえ)は何(いか)ん。諸(もろもろ)の薄徳(はくとく)の人は、無量百千万億劫(むりょうひゃくせんまんのくこう)を過ぎて、或(あるい)は佛(ほとけ)を見る有り、或(あるい)は見ざる者あり。此の事(じ)を以(もっ)て故(ゆえ)に、我(われ)是の言(ことば)を作(な)す。

諸(もろもろ)の比丘(びく)、如来(にょらい)は見ること得べきこと難し。

斯(こ)の衆生(しゅじょう)等、是(かく)の如(ごと)き言(ことば)を聞いては、必ず當(まさ)に難遭(なんぞう)の想(おもい)を生じ、心に戀慕(れんぼ)を懐き、佛(ほとけ)を渇仰(かつごう)して、便(すなわ)ち善根(ぜんこん)を種(う)ゆべし。是の故(ゆえ)に如来(にょらい)、實(じつ)に滅せずと雖(いえど)も、而(しか)も滅度(めつど)すと言う。又(また)善男子(ぜんなんし)、諸佛如来(しょぶつにょらい)は法、皆、是(かく)の如(ごと)し。衆生(しゅじょう)を度せんが爲なれば、皆實(じつ)にして虚(むな)しからず。

譬(たとえ)ば、良醫(ろうい)の智慧(ちえ)聰達(そうだつ)にして、明らかに方藥(ほうやく)に練し、善(よ)く衆病(しゅびょう)を治するが如(ごと)し。其(そ)の人、諸(もろもろ)の子息多し、若(も)しは十(じゅう)、二十(にじゅう)、乃至(ないし)は百數(ひゃくしゅ)なり。事(こと)の縁(えん)有るを以(もっ)て、遠く餘國(よこく)に至りぬ。諸(もろもろ)の子後(のち)に、他の毒藥(どくやく)を飲む。 藥を發(ほっ)し悶乱(もんらん)し、地に宛轉(えんでん)す。是(こ)の時に其(そ)の父、還(かえ)り來(きた)って家に帰りぬ。 諸(もろもろ)の子、毒(どく)を飲んで、或(あるい)は本心を失(うしな)える、或(あるい)は失(うしな)わざる者あり。遥(はるか)に其(そ)の父を見て、皆(みな)大いに歡喜(かんき)し、拝跪(はいき)して問訊(もんじん)すらく、

善く安穏(あんのん)に帰りたまえり。我等(われら)愚癡(ぐち)にして、誤って毒藥を服(ふく)せり。願わくは救療(くりょう)せられて、更に壽命(じゅみょう)を賜(たま)え。

父、子等(こら)の苦惱(くのう)すること是(かく)の如くなるを見て、諸(もろもろ)の経方(きょうぼう)に依って、好(よ)き藥草の色香美味(しきこうみみ)、皆(みな)悉(ことごと)く具足(ぐそく)せるを求めて、擣篩和合(とうしわごう)して、子に与えて服(ふく)せしむ。而(しか)して是の言(ことば)を作(な)さく、

此(こ)の大良藥(だいろうやく)は、色香美味(しきこうみみ)、皆(みな)悉(ことごと)く具足(ぐそく)せり。汝等(なんだち)服(ふく)すべし。速(すみや)かに苦惱(くのう)を除いて、復(また)衆(もろもろ)の患(うれえ)無けん。

其(そ)の諸(もろもろ)の子の中に、心を失(うしな)わざる者は、此(こ)の良藥(ろうやく)の色香(しきこう)、倶(とも)に好(よ)きを見て、即便(すなわち)之(これ)を服するに、病(やまい)盡(ことごと)く除(のぞ)こり愈(い)えぬ。餘(よ)の心を失える者は、其(そ)の父の来れるを見て、亦(また)歡喜(かんき)し、問訊(もんじん)して、病(やまい)を治せんことを求索(もと)むと雖(いえど)も、然(しか)も其(そ)の藥を与うるに、而(しか)も肯(あ)えて服せず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。毒気(どっけ)深く入って、本心を失えるが故(ゆえ)に、此(こ)の好(よ)き色香(しきこう)ある藥に於(おい)て、美(うま)からずと謂(おも)えり。

父、是(こ)の念を作(な)さく、此(こ)の子愍(あわ)れむべし。毒に中(やぶ)られて、心皆(みな)?倒(てんどう)せり。我(われ)を見て喜んで、救療(くりょう)を求索(もと)むと雖(いえど)も、是如好(にょぜこうやく)藥を、而(しか)も肯(あ)えて服せず。我(われ)今當(まさ)に方便(ほうべん)を設けて、此(こ)の藥を服せしむべし。

即(すなわ)ち是の言(ことば)を作(な)さく、汝等(なんだち)當(まさ)に知るべし。我(われ)今衰老(すいろう)して、死の時已(すで)に至りぬ。是の好(よ)き良藥(ろうやく)を、今留(とど)めて此(ここ)に在(お)く。汝(なんじ)取って服すべし。差(い)えじと憂うること勿(なか)れ。

是の教(おしえ)を作(な)し已(おわ)って、復(また)他國(たこく)に至り、遣(つかい)を使して還(かえ)って告げしむ。汝(なんじ)が父已(すで)に死しぬ。

是(こ)の時、諸(もろもろ)の子、父背喪(はいそう)せりと聞き、心大いに憂惱(うのう)して、是(こ)の念を作(な)さく、

若(も)し父在(いま)しなば、我等(われら)を慈愍(じみん)して、能(よ)く救護(くご)せられまし。今者(いま)我(われ)を捨てて、遠く他國(たこく)に喪(そう)したまいぬ。自(みずか)ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして、復(また)恃怙(じこ)無し。

常(つね)に悲感(ひかん)を懐いて、心(こころ)遂(つい)に醒悟(しょうご)しぬ。乃(すなわ)ち此(こ)の藥の色香味美(しきこうみみ)を知って、即(すなわ)ち取って之(これ)を服するに、毒の病(やまい)皆(みな)愈ゆ。其(そ)の父、子悉(ことごと)く已(すで)に差(い)ゆることを得つと聞いて、尋(つ)いで便(すなわ)ち來(きた)り帰って、咸(ことごと)く之(これ)に見(まみ)えしむ。諸(もろもろ)の善男子(ぜんなんし)、意(こころ)に於(おい)て云何(いかん)。頗(も)し人の、能(よ)く、此(こ)の良醫(ろうい)の虚妄(こもう)の罪を説く有らんや不(いな)や。

不(いな)なり、世尊(せそん)。

佛(ほとけ)の言(のたま)わく、我(われ)も亦(また)是(かく)の如(ごと)し。成佛(じょうぶつ)してより已来(このかた)、無量無邊(むりょうむへん)百千万億(ひゃくせんまんのく)那由佗(なゆた)阿僧祇劫(あそうぎこう)なり。衆生(しゅじょう)為の故(ゆえ)に、方便力(ほうべんりき)を以(もっ)て、當(まさ)に滅度(めつど)すべしと言う。亦(また)能(よ)く法の如(ごと)く、我(わ)が虚妄(こもう)の過(とが)を説く者、有ること無けん。

爾(そ)の時に世尊(せそん)、重(かさ)ねて此(こ)の義を宣(の)べんと欲(ほっ)して、偈(げ)を説いて言(のたま)わく。

* この一説は『妙法蓮華経 開結』(第六十七世 日顕上人・編、大石寺)を参考にしました。。

* いかかがでしたか。心が晴れ晴れとし、何か大きな力があなたに手を差し伸べているような気がしませんか。末法の世で、人を救うのは法華経のみ。ただ、法華経だけを信じましょう。決して、法華経を軽んじてはいけません。もし、日蓮正宗にご縁したくなったら、FPかしわ。まで、メールを送ってください。広宣流布の一助になれば、これほどうれしいことはありません。

* この法華経を毀損し、誹謗するものは、頭が七分に割れ、地獄の苦しみを味わうことになるでしょう。最後に、法華経を軽んずるものに、送る言葉を記しておきましょう。



 若不順我呪(じゃくふじゅんがじゅ) 惱乱説法者(のうらんせっぽうしゃ)

 頭破作七分(とうはさくしちぶ)   如阿梨樹枝(じょありじゅし)

 如殺父母罪(じょしいふもざい)   亦如厭油殃(やくじゅけんゆおう)

 斗秤欺狂人(としゃさきょうじん)  調達破?罪(じょうたつはそうざい)

 犯此法師者(はんしほうししゃ)   當獲如是殃(とうがくじょぜおう)